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高村光太郎

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 私自身のやつてゐるのは開墾などと口幅つたいことは言はれないほどあはれなものである。小屋のまはりに猫の額ほどの地面を掘り起して去年はジヤガイモを植ゑた。今年は又その倍ぐらゐの地面を起してやはりジヤガイモを植ゑるつもりでゐる。外には三畝ばかりの畑を使はしてもらつて、此処にいろいろの畑作をやつてゐる。今のところそれだけである。無理をするのがいやなので自分の体力と時間とに相当したことだけを今後もやつてゆくつもりである。無理に成績をあげるやうなことをすると、自分の芸術上の仕事にもさしひびくし、体力をも酷使するやうになるに違ひないので、その範囲を明かに判断してかかつてゐる。体力酷使といふことは、一面自分でも大層勉強してゐるやうに感ぜられ、農家などにあつては、労働といへば体力酷使を意味し、引いては体力酷使をしなければ労働でないやうな錯覚を持つに至り、便利な機具などを使ふのは幾分労働忌避を意味するもののやうに考へられる傾さへあるが、これはまことに馬鹿げたことで、体力を酷使せずに必要なだけの仕事の出来るのを目標とせねばならないこと言ふまでもない。むやみに計画を壮大にしてそのために神身を労し過ぎ、仕舞には何のために苦しんでゐるのか分らなくなり、果ては絶望的破壊的な考へ方まで抱くに至るやうな例もままあるのは気の毒である。分相応よりも少し内輪なくらゐに始めるのがいいのだと私は信じてゐる。

 西町の家も文字通りの九尺二間の長屋であった。家の前を上野広小路の方から流れて来る細い溝が鉤の手になって三味線堀に流れていた。少し行ったところが佐竹原という原っぱになっていて、長屋の裏手は紺屋の干場になっていた。その佐竹原に、祖父の元の仲間が儲仕事に奈良の大仏の模品を拵えて、それを見世物にしたことがある。その仕事の設計が余り拙いので、父は仏師だからつい、心は丸太で、こういう風に板をとりつければよいというようなことを口出ししたのがきっかけとなって、その仕事に引きずりこまれて監督になったらしい。大仏の中は伽藍洞で、その中に階段をつけ、途中に色々な飾りものがあって、しょうつか婆が白衣で眼玉が動いていて非常に怖しかったのを覚えている。大仏の眼玉や鼻の孔から眺めると、品川のお台場の沖を通る舟まで見えるということであった。之が父の設計で余り岩畳に出来ているので、後で毀すのに困ったらしく、神田明神のお祭の時にひどい暴風があっても半壊のままだったらしい。父がそんな見世物に手を貸してやっていたことなど、幸田露伴さんの小説の中にも出ているが、然し露伴さんは谷中に来てからの知合で、その頃はもとよりそんな方面の方とはつきあいはなかった。

 顔は誰でもごまかせない。顔ほど正直な看板はない。顔をまる出しにして往来を歩いている事であるから、人は一切のごまかしを観念してしまうより外ない。いくら化けたつもりでも化ければ化けるほど、うまく化けたという事が見えるだけである。一切合切投げ出してしまうのが一番だ。それが一番美しい。顔ほど微妙に其人の内面を語るものはない。性情から、人格から、生活から、精神の高低から、叡智の明暗から、何から何まで顔に書かれる。閻羅大王の処に行くと見る眼かぐ鼻が居たり浄玻璃の鏡があって、人間の魂を皆映し出すという。しかしそんな遠い処まで行かずとも、めいめいの顔がその浄玻璃の鏡である。寸分の相違もなく自分の持つあらゆるものを映し出しているのは、考えてみると当然の事であるが、又考えてみるとよくも出来ているものだと感嘆する。仙人じみた風貌をしていて内心俗っぽい者は、やはり仙人じみていて内心俗っぽい顔をしている。がりがりな慾張でいながら案外人情の厚い者は、やはりがりがりでいて人情の厚い顔をしている。まじめな熱誠なようでいて感情に無理のあるものは、やはり無理のある顔をしている。お山の大将はお山の大将、卑屈は卑屈。

高田保

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 私はいま伊豆の温泉宿にゐて、のんびりした恰好で海を眺めてゐる。だが人間を恰好だけで判断するわけにはいかない。この私も実はのんびりどころか、屈托だらけなのである。海を眺めてゐるのは恰好だけで、私の眼は貸家札を探してゐるのである。
 今朝の都新聞を見ると、『読者と記者』といふ欄に、「この一月以来私は貸家探しをしてやつと見つかり五ヶ月ぶりにホッとした者だが」といふ書出しで、ある読者が苦情を並べてゐる。記者の方も同情して「大問題です」と答へてゐる。私もまたこゝのところずうつと貸家探しをしてゐる者だ。私の方はまだ見つからんのでホッとするまでにならない。そこで私は仕方なくこの温泉宿へやつて来たといふ次第だ。海を眺めながらも貸家札がといつたのは、つまり私の心境を表現したのである。
 新聞を手にすると先づ、何よりもあの一番後の頁、あそこを見ることにしてゐる。バルカン諸王国の運命も気にかゝらんことはないが、それよりも『貸家』といふ案内広告である。しかし近頃は『貸家』よりは『売家』の方が多い。『貸家』が二件なら『売家』の方は二十件である。だからその結果として『求貸家』といふのがすばらしく並んでゐる。当然の比例で『求売家』といふのは見当らない。世の中の方則といふものは整然と行はれてゐる。泰平なものだなと思ふ。
 泰平ではあるが私には、なぜこの売家と貸家とが『家屋』といふ一つの欄に収められてゐるのかが判らない。借りなければならない人間に買へる筈はない。同じ家屋ではあるがこの二色は極楽と地獄みたいな相違である。新聞社にしてこんなことに気づかないとは可笑しすぎる。

 某日某所で、『ものは附』の遊びをやつた。『長いものは』といふのが題だつたのだが、『他人の恋文』といふ答へが出ると、判定で意見が分れた。他人の恋文と来れば誰だつて面白がつて読むことだから、これはちつとも長くないといふ説と、他人の恋文などとはくそ面白くもない。だからハガキ一枚にしろ長いぢやないかといふ説とだつた。どつちも本当なので、中々結着がつかず、『長いものは他人の恋文についての談議』といふことではどうかとなり、大笑ひをしたのを覚えてゐる。
 が、それにしても、恋文といふものは他人に見せるものか? 常識としてはまあ見せぬ筈のものだらう。だがそれがとかく見つかり易い。見つかると騒動になる。現在ならば何事も「しかしそんなこと自由ぢやないか」と一言取り澄ましてセリフをいへばそれきりだらうが、昔だとこれが「不義者みつけたア」といふ喚きになつて、その証拠の一通があつちに行きこつちに渡り、それだけで全通し何幕といふ大狂言が出来上つたりしたものである。それほどの筋にならずとも、胸元を抑へられて、小突き廻はされるぐらいの小波瀾は、到底まぬがれ得ないところで、かうなると大の男である亭主も、小の女である女房の前に頭が上がらない。昔の封建日本は男性横暴だつたといふが、必ずしもさうでなかつたことは、維新のころの駐日英国公使だつたオルコック氏の『大君の都』といふ書物をみるとわかる。それにはこの亭主平謝まりの図が細密に描かれて「恋文発覚の図(ラヴレタア・ディスカヴァド)」と説明されてゐる。

「世界情勢吟」と題して川柳一句をお取次ぎする。
国境を知らぬ草の実こぼれ合い
 なんと立派なものではないか。ピリッとしたものが十七字の中に結晶している。ところでこれがなんと、八十三歳のお婆さんのお作なのだ、驚いていただきたい。
 井上信子、とだけではわかるまい。が井上剣花坊の未亡人だといったら、なるほどと合点なさるだろう。「婦人朝日」誌上で紹介されていたのだが、こぼれ合う草の実こそは真実の人間である。真実の人間同士の間には国境などというあざといものはありゃしない。
 この草の実のこぼれ合いを眼の中に入れてないところに、世界の政治の愚劣さがある。侵略とか防衛とかいうが、一たびこの十七字の吟ずるところに徹して考えるがいい。人間のあさましさ、百度の嘆息をしても足りぬことになるだろう。この句のこの味、もしもそっくり伝えられるものなら翻訳してもらって外国へも紹介したい。もう一寸早ければ、ダレスさんにお土産としてもって帰っていただきたかったところだ。